昭和54年3月30日 朝の御理解

御理解 第35節
「信心は日々の改まりが第一じゃ。毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思うて、日々うれしゅう暮らせば、家内に不和はない。」



信心は日々の改まりが第一じゃ。改まらねば、改まらないかと言うて、こと改めて、こう改まるというのじゃなくて、えー、教えに忠実である。少しづつでも教えを自分のものにしようとする精進がなされておる限り、いつの間にか、おのずと、または、あー、一心発起、えー、改まりという事が出来るようになると思うです。ただ、改まりの事だけに、あの、精進してもですね、教えを行じていなかったら、それはもう、大変難しいことであり、もうこれは、私の性分だから仕方がないだろうという事になるんです。私は、それを、昨日、えー、昨日あの、敬親会、それから、福山から、十九名団体参拝がございました。それで、えー、共励殿で、まあ、研修をさせてもらって、まあ、私の話を聞いてもらって、それから、あー、皆さんの発表を聞かせてもらったんですけれども、福山の方達が、二、三人発表されました。もう、あちらでは、お話という事がないから、お話をしたことがないから、お話は出来ないけれどもと言うて、お話をされましたが、まあ、赤裸々な、んー、とにかく、あちらの教会に、まあ、あちらこちらの教会にお参りをしておる方達が、幾らもおられますが、んー、初めの間は、先生方も喜んでおられたけども、この頃は、そのやっぱ、ここと同じで共励会があります。共励会では、そのお話がないですから、結局、おかげの泉が芯になって、おかげの泉をこう読んで、そこから研修をするというところになっておったんだそうですけれども、この頃はその、おかげの泉を読んではならないという事になったと。ね。しかし、不思議なもんで、読んではならないというと、余計読みたいのです。うっふっふ、というて、かえってその、共励の熱が上がっておりますというような話をなさっておられたんですけれども、まあ、行くところ行くところ、合楽の信心はその、やっぱし、敬遠される。けども、本気でそれを読み出し、本気でそれを行じ出したら、これが、本当の金光教だといったような風に、もう、その、それに、えー、取り組んでおる人達は、素晴らしい、素晴らしい、また、私も連れて行ってくれ、私も連れて行ってくれという人達が、まだ幾らもあるという発表をしておられましたが、次の人が話を、この人、その方も話をした事がないけれどもと言うて話されるのに、もう、素晴らしい話をしておられました。この、とにかく、合楽理念をもってすると信心が楽しゅうなる、愉快になる。ね。もう、確かに合楽理念は、そういう働きが起こってまいります、と言うて話しておられました。えー、まあ、神様のご都合の間違いなさというでしょうか、この前、参拝して来た時にも、ちょうど、私が月次祭で、福山辺りから参ってくる人達の、まあ、信心を頂きたいといいながら、おかげ信心だと言ったような事を話しておるのを、たまたま、それを聞かせている。昨日もでした、昨日も私は、この前の月次祭を、あの、見てもらいなさいと言うて、あの、したところが、段々、あの、ビデオで見たり聞いたりさせて頂きよったら、あー、この前の前の、を、だから、十日の月次祭の、あの、かけているんです。そして、また、福山の話が出てくるんですよ。もう、聞かせようごつないようなお話なんです。ね。どういう事かと言うと、福山の人達の信心の程度が低いと言ったような話が出てくるんです。今日でも、私が終わってから、これが合楽的だと。この前も、あなた方に聞かせたくないような内容の、福山の人達のを取り上げたお話でしたが、また、昨日、聞いてもらうのもやっぱり、それであった。ここにね、いよいよ、合楽の神様は、福山から、わざわざ見えてる方達に、いよいよ、本当の信心を与えたい。いや、本当の信心を分って貰いたい。身につけてもらいたいと言う願いがあるからこそ、こういう事になるのだと言うて、まあ、私も説明をしたことでしたけれども、えー、福山の方たちは、それを大変喜んでですね。えー、もう、本当に言うて良いか私には分かりません。もう、本当に、おかげ信心で、えー、と、言われながら、その発表されることが、みんな合楽理念を行じて、合楽理念を分からせて頂いてというお話ばかりでした。ね。その、二番目の方が発表しておられるのまで、とにかく、今日は、月末で、大体言うたら、私は、商売をなさっておられる方でしたから、もう、月末で、もう、家内が第一反対してから、あー、今日は止めときなさいというのでしょうけれども、ね。神様へ向けて行かれるのだから、後の、お店の事は、私が引き受けた、どうぞお参りしてきて下さいという風に申しましたち言うて言われるんです。ね。もう、今までは、例えば、商売、その仕事がです。まあ、調子が良い時には、あー、別ですけれども、調子が悪くなったりすると、もう、いやーになってから、もうただ、きついものだけが残ってまいりましたけれども、合楽理念を、段々、勉強させていただくようになって、もう、心行だ、家業の行だといわれる。その家業の行という取り組み方をさせて頂いたら、もうこの頃は仕事が楽しゅうして、有難うして、愉快になりましたと。それだけではありませんて、家内が楽しゅうなった、愉快になったと言いますと。昨日などは、二人の子供が小学校に行っておるのが、今日はもう、学校で楽しかったわあと言うて帰ってきとと、二人ながら。だからね。私は、本当に、その御用そのものを、合楽理念をもってするならば、ね。確かに、あの、御用が楽しゅうなってくる、有難うなって来る。しかも、愉快にまでなってくる。それがね、家内に言わなくても、家内がそれを言うし、子供達までが、勉強が楽しゅうなった、有難たくなったというという事を、実感を込めてその、話をしておられましたのを聞かせてもらってね。今日の御理解を頂かせて貰うて思うんです。ね。皆さん、合楽理念を本気でね、やはり、行じなければいけませんよ。もう、その事がです、まあ、今日のご理解で言うならね。元日の気持ちにもなれりゃ、大晦日の心持にもなれて、それこそ、目出度い、目出度いというような心。楽しゅうして、有難うして、しかも愉快にまでなる。それは、中心であるところの、私がその気にならせて頂いて、お仕事のほうでも、楽しゅうなり、有難うなって来たら、家内が、その、楽しい、有難いという事を言う。子供たちまでが、楽しゅう、有難うなってきたと言う事実をね。昨日は、発表しておられました。私は、それを聞いて、感心するだけではなくてです。今日の御理解を頂いてみたら、この、日が暮れたら大晦日と思うて、夜が明けたら元日と思うて、ね。暮らせば家庭に不和はない。確かにそうだなあ、元日の気持ちになりゃと言うて、元日の気持ちになろうとしたところで、大晦日の気持ちになろうとしたところでです。なれるもんじゃない。改まるという事は、改まろうとして、なかなか改まれるもんじゃない。ね。本気でです、いうならば、教えに忠実にならせて頂いて、その取り組ませて頂いておるとです。ね。いつの間にか、いうならば、改まりが出来てくるし、また、一心発起も起こってくる。そこから、後から考えてみて、今日のような一日が、言うなら元日のような一日であっただろう。今日のような一日であったからこそ、一日を有難い、勿体ないで締めくくることが出来て、大晦日のような心も、おのずと頂けてくる。いうなら、琢磨ずして出来てくる。ね。本気で教えに取り組まなければならない。日参、聴教といわれる、ね。だから、福山の方達は今、月、大体、二階ぐらいはお参りになります。ですから、まあ、こっちでお話を頂くのが、まあ楽しみ、それから、あー、こちらからの、昨日も、えー、天の心、地の心を沢山買って、えー、まあ、みんなにもお分けしたいからといって買って帰られましたが。んー、それに本気で取り組むことに、いうなら、有難いものを、楽しいものを頂かせていただくようにならしていただいて。自身が、いうなら、元日の心になってくるのですから、ね。家内がそれに、やっぱり、和してくれる。子供達も、何も分からんなりに、楽しかったとか、愉快だったとかと言うような表現でです。その、学校から帰ってくるのを聞いて、もう、私が一人、それに取り組ませていただけば、家族中のものが、まあ、楽しゅうなり、愉快になれる。第一仕事が楽しゅうなり、有難うなったという事が有難い。とにかく、家業そのものが行だという頂き方を、本気でさせて頂くようになったら、ね。嫌だなと思うようなことがなくなったと言う発表をしておられました。私共は、毎日毎日、いうなら、合楽理念を、いうならば、縦から横から、いよいよ深う、広ろう、こうして頂いておるけれども、果たして、月の、その福山の御信者が、発表されたように、本気で取り組んでいないところからです。ね。楽しいとか、ね。有難いとか、いや、愉快にまで、ね。はあ、元日の心で暮らしゃもう、間違いないけれどもと言うておるだけではいけん。もう、元日の心は、おのずと、大晦日の心はおのずと頂けてきて、ね。改まると言うような事でもです。いうなら、合楽理念を元にした生き方をさせて頂いておると、いつの間にか、改まることも、段々、出来てくるようになると。信心は、日々の改まりが第一。さあ、第一だから改まらにゃという事は、なかなか長く続かない、ね。改まったかに見えて、また、あの、元に戻ってしまうと言うような、難しいことではなくて、ね。教えに忠実である。いうなら、合楽理念に忠実であると言う信心をです。いよいよ、身を持って行じて行く生き方以外にはなさそうです。ね。そして、いうならば、ね。私が一人づつの事に本気で取り組ませていただいたら、家内も、ね。楽しゅうなり、愉快になり、子供たちまでも、というようなおかげが、言うなら、いよいよ、日々を元日のような心持で過ごさせて頂く事が出来る。ね。今日は、その事に、わざわざ取り組むという事は難しい。もう、とにかく、日々が合楽理念を持っての日々であるならば、おのずとそれは出来てくる。まあ、そんなことを今日は聞いてもらいました。どうぞ。


末永静行
2005年10月14日